「もう、会社で働くのはイヤだ」と言葉にしてみた。ああ、スッキリ。
それを言ったら終わりよ後がない、と封印してきたけど、もう言ってしまった。
快感。
今まで、職場と言えば「会社」で、正社員でも契約でも派遣でも、とにかくそこにしがみついてきた。
なのに、最後の派遣先では、意味不明な嫌がらせされてからの突然の契約終了。
しがみついてもロクなことはない。
どうせロクなことにならないなら、今までと違う仕事をしてみる。
職業選択の自由は、憲法で認められている。
政府だって会社に頼らず、副業で自分で稼げと言っている。
「派遣は責任ないから気楽でいいね~」
派遣社員で働いてる時に、何度かそんなこと言われました。
「派遣は」を「契約社員は」「パートは」「一般職は」「新人は」、あるいは「主婦は」に置き換えても使えるテンプレ。
もちろん、そんなに気楽ではない。責任を持って仕事はしている。
ただ、その「責任」が何に対してなのか、正規の社員と非正規の社員では違うのかなとおもう。
正規の「責任」は「所属企業に対する責任」で、非正規の「責任」は「仕事そのものに対する責任」。
非正規には「所属企業に対する責任」 はない、というより責任をとる立場ではない。
例えば、非正規社員が仕事でミスをしたとして。
その非正規社員を切ったとしても、責任を取るのは会社側の責任者。
非正規社員が自分の責任を感じて辞めたとしても、使えない非正規がミスした挙句、勝手に辞めたということで、やはり責任を取るのは会社側の責任者。
それはきっとお金の問題、コストを負担すること。
非正規社員を切ったところで、人員補充しなきゃならないので、その分コストがかかるだけで、会社には損しかない。
なので、責任者である正規社員の勤務評定を下げて、給料やボーナスを減額して、コストを補填。
それが「責任を取る」ってこと。
正規社員が非正規をうらやしがるのもいたしかたあるまい。
非正規が職を失うのは、仕事でミスをしたんだから自分自身の責任を取っただけ。
非正規であっても会社に甚大な損失を与えた場合に何らかの請求があった場合は、責任ではなく損失補填になるのでしょう。
責任がないということは、依存しているということ。
会社の末端で働いてる限り、否応なく依存させられる。
そういうシステムだから。
会社での仕事にしがみついていた私は、会社依存症だったということなのか。
なんかヤダ。
自由とは、何かに依存していない、されていないということ。
つまり責任があるということ。
自分の責任は自分にあるというのは、大人としてあたりまえだけど、社会人としては、社会に責任がないのはよろしくない。
自由ではない。
依存ではなく、共存しなくては。
共存するということは、全体の責任を分担して負うということ。
なので、知らいないうちに、会社に依存させられるような仕事は、よろしくない。
とは言え、何をはじめたらいいのか。
考えたら楽しくなりそう。
困った時のための備忘録的リンク。
更新: 2019-10-14